所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー。血液型A型。身長173cm 。妻はタレントの乙葉。お笑いタレントだが、現在は司会業に力を入れている。
豊中市立南丘小学校、豊中市立第九中学校(女性シンガーソングライターの矢井田瞳も同校の出身)、大阪市立西商業高等学校(現・大阪市立西高等学校)卒業。高校在学中に阪神百貨店の「学生禁止」のアルバイトにあえて応募、接客テストで学生でない他の応募者より優秀だったのと、「顔が学生的ではない」という特別理由で採用された。
高校卒業後の数年間は化学薬品会社の経理課に勤務していた。1992年、サラリーマンを続けながらYSP(吉本新喜劇プロジェクト)へ。同年、毎日放送の「テレビのツボ」でテレビデビューを果たし、これを機に仕事を吉本興業に一本化。吉本興業の同期にはココリコ・中川家・陣内智則・たむらけんじ・ケンドーコバヤシらがいる(実際は彼らのほうが先輩であるが陣内は藤井のことを先輩として接している)。「テレビのツボ」では、NHK総合担当のチャンネル君(丸一日特定のチャンネルを視聴し、夜の生放送でその日のいちばんの見所を報告する役割)を務めた。天然パーマに繋がった眉毛という、インパクトの強い容姿が番組のファンにも親しまれていたが、当時のキャラクターはいたって普通の青年であり、他のチャンネル君の多くが一般の学生、フリーターであった事から、彼を芸能人として認識していた視聴者も少なかったといわれる。本格的に彼の個性が爆発するのは、番組終了後のことであり、「テレビのツボ」当時を知る関係者やファンには後に大化けしたと驚かれた。
新喜劇の全国展開が活発になってきた頃、中堅クラスの多くが遠征で不在のため座長と二線級以下のYSPメンバーばかりで演じなければならない時期があった。この期間、ある病院で内場勝則の同室の病人が全員オカマというシナリオで、それまでゲジゲジ眉毛しかギャグがなかった藤井がオカマキャラを見事に演じ、出演メンバーの層の薄さに急激に冷め始めていた客席を異常に沸かせることに成功。そのままオカマの藤井として一気にブレイクし、わずか一ヶ月ほどの間に中條健一らと番組の冒頭で番組紹介をするほどになる。
一時期吉本新喜劇を退団し、オランダを放浪していたがその後帰国。帰国後吉本に挨拶に出向くと、なぜか何事も無かったかのように即仕事を入れられたため、復帰する事となった。1997年、全国放送となった「超!よしもと新喜劇」番組内で演じたオカマキャラでブレイクした。同番組ではダウンタウンがゲスト出演した際に、松本人志の仕掛けにはまって浜田雅功とキスをするはめになった。これがきっかけでブレイクして以来、ダウンタウンの番組にも多数ゲスト出演。2001年には4年ぶりに復活した「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」に元々のレギュラー達と並んで出演している。
毎日放送ラジオの人気番組「オレたちやってま〜す」でも活躍し、藤井は、林原めぐみと水曜日を担当。アシスタントには初代に原史奈を迎え、以後周防玲子・藤本綾・加藤明日美、またさとう珠緒と順に交代している。この時に林原と親交を深め、後年、林原が雑誌『NEWTYPE』に連載していた対談コーナーの最終回に藤井が迎えられ、また藤井の結婚式にも林原が出席した逸話もある。
2000年、浅倉大介のプロデュースによるシングル「ナンダカンダ」で歌手デビューし、同年「紅白歌合戦」(NHK)に初出場。この時ほかの出演者から「お前の歌なんて誰も聞かねえよ。」と言われビビっていたとか(司会者からは「お笑い芸人がポップスの世界に殴り込んだ」と紹介された)。翌年もRe:Japanのメンバーとして2年連続出場(ウルフルズとコラボレーション)し、「明日があるさ」を熱唱した。歌手としては2004年上海、ロサンゼルスでワールドツアーをおこなった。
2001年に放送がスタートし、一時はゴールデンタイムに進出した『BEST HIT TV』シリーズ(2006年終了)でマシュー南というキャラクターとして司会を務め人気を集めた(後述)。
2004年、劇場版アニメ「マインド・ゲーム」で初声優を務める。
2005年4月2日から、関西テレビ制作のフジテレビ系列で毎週土曜日の朝8:30からの情報系番組「ベリーベリーサタデー!」(『いつでも笑みを!』の後番組)の司会を鈴木杏樹とともに務めていた。(2007年3月で終了)
2005年5月7日に、乙葉との婚約を発表。同9日に会見を開いた。
2005年7月29日に入籍、翌7月30日に都内のホテルで挙式・披露宴を行った。
2006年6月2日、映画『カーテンコール』(2005年11月公開)の演技で、第15回日本映画批評家大賞新人賞(南俊子賞)を受賞。
2007年10月31日、一児(女児)の父親となった。
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